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in the MIRROR
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性癖の煮凝り。

No.12

朝に照らされるだけの生命/イサファウ
囚人と囚人

 これは特段隠していたことではないのだけれど――とはいえ、告げたところで冗句か何かかと思われてまともに取り合われずに終わるだろう――かつてT社の巣にいた頃、懸想していた女性がいた。
 開け放たれた窓から覗く、使い古したスケッチブックと向き合いながら、デッサンに励む彼女の様子を興味本位で何気なく眺めていると、白皙――白黒に彩られた世界では本来の色こそ分らなかったものの、色素の薄い女性だったことは覚えている――の横顔が此方を向いた、瞬間。それが出会いの始まりだった。
 画家見習いだという彼女のスケッチを時折眺めながら、時折言葉を交わしたり。研究に没入するあまり、しばらく外出すらしない日々が続いた際は、いつの間にか己の所在を聞きつけた彼女が自室に押し入ったり。時には連れ出されて散歩や食事に付き合わされたりしたこともあった。
 生まれてこの方巣を出たことがないという彼女は、いつか各地を巡って色とりどりの世界をこの目で見てみたいのだという。自身が持って生まれた色がどのようなものなのか確かめたい。
 ――イサンさんは、どんな色をしているのでしょうね。
 首を傾げながら見つめてくる彼女に言葉が詰まる。自分の髪色は燃える紅葉を連想させる鮮烈な赤でもなければ、目だって宝石のような輝きを放つ青でもない。どちらも何の特徴もない黒色だ。楽しみにしていた分、かえって彼女を失望させてしまうのではないか。彼女がそういう人物ではないと知りながらも、後ろ向きな考えばかりに囚われて怖じ気付いては、ついぞ応えは返せなかった。
 四カ月という短い期間だった。結局、別れを告げる猶予さえなかった彼女は今頃どうしているだろう。共に過ごした日々が遠い過去の記憶となって色褪せたとして、せめて何事もなく息災でいてくれたならば、それで構わなかった。
 彼女の夢を応援したい。唯一の理解者でありたいと、傲慢にも思ってしまった対価だろうか――いや、意気地がなかっただけと言われば返す言葉がない。たとえ避けられぬ別れが訪れるとして、いずれ渡せたならばと買い求めた指輪は、九人会が瓦解し、白く四角い部屋で軟禁の日々を送り、そして奇しくも彼女の夢だった各地を巡る業務に携わるようになった現在に至るまで、未練がましくも捨てきれずに自分の手元に残っているのだから。
「……イサンさん、これは?」
 書物や走り書きで乱雑になった作業台へ置き去りにしてしまっていた悔恨の欠片とも呼ぶべきそれを拾い上げたのは、自らをリンバス・カンパニーに勧誘した張本人だった。あの頃の輝きを損なうことなく、ランプの灯りを映したそれを色素の薄い双眸で観察しながら、疑問を口にする彼女を一瞥した眼差しが、無意識のうちにそっと外れる。
「心に懸かりせば、持ちゆくべし」
「大切なものでは?」
「……今の私には要なきものなり」
 幸い、混じりけのない白金製の指輪だ。実験の触媒としての使い道だってあるだろうし、売却すれば雀の涙程度といえど経費の足しくらいにはなるだろう。何より、自ら手離すことが出来ずにいる執心との決別のきっかけになるのではないかと、自己本位な期待ばかりが頭の中で膨らんでいった。
 その一件以降、手元から離れたそれがどうなったのか知る由はない。自分に知る権利はないのだと言い聞かせながらも、視線は知らず知らずのうちに彼女の手元へと向けられる。
 ――そして、その白魚のような指にあえかな煌きを見出せぬたび、自分勝手な落胆が胸中で浮かび上がっては重くのしかかった。

   * * *
 
 幾許かの時が流れ、胸裡を蝕んでいた痛みは多少なりとも和らぎを見せ始めた。
 鏡ダンジョン攻略も終盤にさしかかり、敵の練度は勿論、猛攻の勢いも増すばかりである。
「ぐ……っ」
 腹部を打ち据える蹴打と同時に、骨の軋む鈍い音が響いた。食道が熱く焼ける感覚。胃酸の逆流をぐっと押しとどめ、振り下ろされた刃を得物で受け止める。火花を散らし、いなした隙をつくようにして懐に飛び込んだ勢いのまま、無防備な喉仏へと刃を突き立てた。力任せに抜き取った傷口から噴出した血潮で白かったはずのシャツが赤く染まったことも気に留めず、呼吸を整えている精神的な余裕も与えられず、次の標的に意識を向けるべく振り返る。
 振り返り、目の当たりにしてしまった。
 ――引き裂かれた胸元からおびただしい血を流し、今にも崩れ落ちそうになるファウストの姿を。
「ファウスト嬢!」
 咄嗟に彼女の名を叫んでいた。この身を蝕む痛みも忘れ、もはや無我夢中で駆け抜けたようとした隣から響いた、鋭い剣戟。怪我は――していない。すぐ傍らで打ち鳴らされた舌打ちに意識を向ける。視界の端で短い茶髪が揺らめく様を見た。
 心の内で礼を述べながら、危うく地面に頽れかけた華奢な肢体を抱き留める。ただでさえ白い肌は、止め処なく溢れた血のせいで殊更に色味を喪失している。大きく裂かれた衣服の隙間から覗く傷は、一目で致命傷であると判断出来るほど広く、深い。たとえダンテの時計が巻き戻されれば元通りになる身であれ、失血で震える彼女の様子を指を咥えて見守っているわけにもいかない。
 少しでも凍える身を温めるべく自身の外套へと手をかけたところで――
「……あ」
 此方を捉えた、焦点の合わない瞳。その顔色が、一層青褪める姿を見た。
「っ……見ないで……ください……!」
 赤く染まった胸元を隠すようにして、普段であればほとんど感情を窺わせない声を震わせて懇願する彼女に動揺するも――は、と我に返る。許しもなく女性の柔肌に触れるのみにとどまらず、晒された乳房をまじまじと見つめるのは気が引けるが、今はそんなことを言っていられる状況ではないのは確かだ。後で誠心誠意謝るとして――彼女から許しを得られるかどうかについては別として――制止を振り切るように抱き寄せた。
 恐怖か、それとも傷みゆえか。一層震えた柔い身体。その拍子に、谷間へと滑り落ちた――赤いぬめりを帯びてこそいたものの――細鎖に繋がれた見覚えのある輝きに、思考が止まってしまったのは流石に想定外だったが。
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