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性癖の煮凝り。

No.15

君に落ちる孤独の融点について/ホンイサ
囚人と囚人

 虫のささめきも息を潜める深き夜。耳を傾けるべき仲間達の語らいは、疾うに寝静まってしまった。鼓膜を鳴らす静寂の中、読書に耽ることすら難渋するほどの盲いたような 晦冥(かいめい)における唯一の暇潰しといえば、窓から覗く星彩を眺めることくらいだというのに。輝きの一粒たりとも見出せぬ、果てなく塗り潰された漆黒を仰ぎ見ては、暗々の内に零れ落ちた嘆息を夜気に溶かした。
 不寝の番、長椅子に凭れたまま、一寸先さえ――己の輪郭さえも朧げな闇に身を委ねていると、もしやするとこの身はぐずぐずに融け果ててしまったのではないかという錯覚に陥る。ひとひらの光もない夜とは、ここまで心寒いものだったろうか。もはや目を開けているのか、瞑っているのかも曖昧な暗中において、触れることを許された座席の感触、硬質な硝子質の冷淡さ――抱え込んでいた自らの腕に、知らず知らず食い込む指の痛みだけが、自身が未だ人としての原型を留めているのだと教えてくれる証左となった。
 思惟を途切れさせてはならない。ほんの瞬きの間でも自己を自己たりえる確固たるそれを「無」にしたが最後、ただでさえ薄弱としたこの意識は容易く呑まれ、漠然とした暗黒淵(やみわだ)に沈むだろう。
 声の出し方を忘れてしまった者の叫びなど、一体何人(なんびと)が聞き届けられよう。

「だ~れだ?」
 両の目を覆った、柔らかなぬくもりがあった。不意打ちのように齎された自分以外の熱源に、途切れた思考は紡ぐべき言葉を見つけられずにいると、解放された視界のすぐ先で、犯人自ら浮かない面持ちで顔を覗き込んできた。
「イサンさん? 大丈夫ですか、さっきからずっとぼうっとしてますけど~」
 指、何本あります? 眼前に三本の指――辛うじて、見える。先ほどまで何も見通せなかったはずなのに――を提示しながら小首を傾げている男をじい、と見つめる。
 自分は、彼を知っている。
「……ホンル、くん」
「あ、気付きました? 良かったです~。近くまで来たのに全然反応してくれないから心配したんですよ~?」
 脳裡に過った同僚の名を口にすると、いつもの人懐こい笑みを湛えたまま、さも当たり前のように長椅子の隣に腰掛ける青年はすらりと伸びた長い足を夜闇に悠々とぶらつかせながら、しかし心なしか優しい声色で続ける。
「何か、考え事でもしてたんです?」
 ――まるで、自分の考えていることは全てお見通しであると言わんばかりに。
 これでは何も、だなんてとても言えなかった。
「……星に」
「うん?」
 どのくらいの間、そうしていたのだろうか。おそらく瞑目していたのだろう眼瞼を上げた視界に、一等鮮やかに耀(かがよ)う光を見たような気がした。
「星に、会わまほし――と」
「星」反芻。ぱちり、瞬いた瞳が闇夜を仰ぐ。「……ああ、そういえば今日は全然見えませんね~」
 星見ついでに星座の見方でも教えてもらおうと思ったのに、残念。そう言いながらもさほど落胆した素振りを見せない青年に、小さく頭を振る。
「されど、私の願いは叶いけり」
 そうして――目の前の「星」に手を伸ばす。
 指先を撫ぜた絹糸めいた漆黒はひやりと冷えていたけれど。
 その先で触れた白皙の熱はじわりと、悴む指に染み入っていく。まるで溶けていくようだ――溶けてしまってもいい。
 互いの息遣いすら共有出来る距離で、見つめ合う。
 一瞬だけ動揺を映した双眸は、しばらくすると緩やかに細められる。
「……お目当てのものは見つかりました?」
「ああ、幸いにも態と其方より来たり」
「あははっ。……なら、もっと近くで見てもいいですよ?」
 そう、戯けるように綻んだ彼の花唇に口付ける。触れるだけの接吻を一度、もう一度――一時の間を置いて、今度は彼から唇を寄せてきた。こういう時は目を瞑るのがマナーなのだと教えられていたものだから、彼が今、どのような顔をしているのか分からない――好奇心こそあったけれど、彼の矜持を暴くような禁忌を侵すのは憚られた。口付けを重ねるごとに、徐々に口唇を重ねている時間が長くなっていく。熱く蕩めくようなひと時。酸素が満足に行き渡らぬ脳髄は甘く痺れていた。
 何よりも、決して離さぬとばかりに腰を掻き抱く腕の強さが――堪らなく、うれしい。

 呼吸が弾み始めた頃、ようやく解放された身を、今度は強かに抱き竦められる。
「も~……何で不寝番の時に限って積極的なんですか?」
 肩に埋められた彼の表情を窺うことは出来ない。
「不満なりや?」
「不満です~。こんな思いをして、この後一人で寝なきゃいけない僕の身にもなってくださいよ~」
 それでも、普段に比べて余裕を欠いた彼の声色が――静寂の中だからこそ殊に、ひっきりなしに打ち慣らされる心音が、何よりも如実に彼の感情を表していて。
「……明日、皆さんが寝静まった夜に――待ってますから」
 とうとう待ち焦がれた星の囁きに、年甲斐なく上気した顔をぎこちなく、しかしやおら縦に振った。
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#LCB61

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