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in the MIRROR
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性癖の煮凝り。

No.16

博戯に秘す/ホンイサ
ぽんぽん派とセブン協会

「はい、これがご所望だった情報です」
 さも当たり前のように眼前に提示された紙束を見つめる。一向に受け取る気配のない相手を不思議に思ったのだろうか。満面の笑みを、どこか童めいた面持ちに変えて、向かい合う青年はきょとんと首を傾げた。
「……あ、もしかして偽物だって疑ってます? それなら、ゆぅっくりと吟味してくれて構いませんよ~」
 そうして、半ば強引に握らされたそれの表紙へと、気が進まないながらも手を伸ばす。ぽんぽん派――何度聞いても巫山戯た名だが、これでもれっきとしたJ社裏路地のカジノを牛耳るマフィアの一つだ――の傘下にある組織によって密かに売買されているという違法薬物の入手および流通経路の詳細、顧客名簿、等々。情報の正確性については実際に調査、精査してみない限りはいかんとも言い難いが、中には慎重を期すためにも公にしていないはずの――自身も情報収集に携わった売人達のリストまでご丁寧に纏められていて、虚偽と切り捨ててしまうにはあまりに内容が緻密過ぎた。
「……確かに、私の欲せし情報と違わず」
「ふふっ、なら良かったです~。中々の力作でしょう?」
 だが――それならば、なおのこと理解に苦しむと言わざるを得ない。
「これでは、そなたの言出でし条件と矛盾せずや?」
 条件。そう、条件。多少のリスクを冒してでも意図的にぽんぽん派の目につくように行動したのも、連行されるようにして赴いた本拠地でマフィアのボスとの賭けポーカーの誘いに応じたのも、全ては意味があってのことだ。
 自分が勝てば、傘下組織の情報が手に入る。
 ボスが勝てば、曰く「僕の好きにさせてもらいます」――有り体に言えば、拒否出来ない絶対条件を一つ、己に対して提示するつもりなのだろう。
 明らかに釣り合いの取れていない条件だが、それでも探し求めていた情報を前にしてどうして背を向けられようか。
 結果として、自分は賭けに負けた。しかし、負けたにもかかわらず、賭けの報酬は確かにこの手の内にある。
「あ~……」間延びした、暢気な声を上げながらボスは続ける。「僕が勝ったら、好きにさせてもらうと言ったでしょう? だから『好き』にさせてもらいました」
 それが当然の行いであるかのように、あっけらかんとした微笑を湛えながら言うのだから、その言葉の真意を咀嚼するまでに些かの時間を要してしまった。
 一寸して、ようやく自分が彼の手のひらで転がされていたのだと悟る。
「……始めより、セブン協会に情報を渡さむとせりや」
「ご明察」
 色違いの目を細める美しい男は、たおやかに笑みを深めた。
 おそらく、この件に関しては我々が調査するよりもずっと前から、内々で調査を進めていたのだろう。ぽんぽん派が手中に置いている組織の情報を易々と口外するとは思っていない。そんなことをしてしまえば折角の資金源(かねづる)を失うことになる上、情報漏洩への関与をまっさきに嫌疑の目を向けられるリスクを鑑みたならば、当然と言えば当然だろう。ましてや今回の自分のように、何処ぞより紛れ込み、周囲を嗅ぎ回っている「ネズミ」は迅速に片付けてしまった方が組織にとっても益だろうに――まあ、手荒な真似をしてきたその時は、こちらも相応の対処を講じてでも本拠地の在所を吐かせるつもりだったが――彼はそうしなかった。
「――彼の組織を潰す気かね?」
 その理由に対する解答は明白だった。
「あいつら、さすがにやり過ぎましたからね~」
 首を竦めながら、仰々しい嘆息が一つ、零れ落ちる。
「調査した限りだと、一部の巣の連中にまで蔓延し始めているみたいですし……このまま放置して、頭や爪に目を付けられでもしたら大変じゃないですか。でもあからさまに自分達が調べました~ってばれても、それはそれで面倒ですし?」
 それならば、敢えて他の組織が調査し、事実を白日の下に晒してしまった方がヘイトを他者へ逸らすことが出来る。加えて、晴れてぽんぽん派は裏切者を粛清するための「口実」を得られるという仕組みだ。
「別に勝とうが負けようが、どちらでも良かったんです……あっ、別にあなたを貶してるわけじゃないですよ? 寧ろ、久々に楽しくって……ついつい本気を出しちゃいました」
 どこまでも悪意のない笑顔で告げた男の手が、やにわに頬へと触れる。まるで水のようにひやりと冷たい感触。誘導されるがまま、見据えた双眸は笑っているように見えて、その奥底には捕らえた獲物を逃がさんとばかりに爛爛とした輝きを宿していた。
「……それよりも、良かったんですか? こんなに簡単に提案を飲んじゃって。僕が望めば、あなたの首を飛ばすことだって……四肢をバラバラにして、死ぬより苦しい目に遭わせることだって出来たんですけど?」
 そんなんじゃ長生き出来ませんよ。するりとなぞるようにして滑り落ちた指先が、喉元を捉えた。真綿で包むように緩やかに、潰れたまめとたこで厚くなった、想像していたよりもずっと硬い彼の皮膚が、徐々に首の肉へ食い込んでいく。瞬きが出来ない。許されていないから。
「っ、……然らば、地に還りしその時まで、知識を蓄積するのみよ」
「わぁ、惚れ惚れするような返事をありがとうございます~」
 感嘆を乗せた言葉は、どこまでも空虚な響きだった。
「……でも、僕がいかさまをしているとか、考えもしなかったんですか?」
 いかさま。囁くように紡がれた単語を脳裏に反芻しながら、テーブルに残されたままのトランプに今一度、視線を向ける。彼が何を意図してそのようなことを口にしたのか、その真意までは計り知れない――それでも、確信をもって断ずることは出来た。
「そなたは如何なる不正もしたらざらむ」
 刹那、捕食者めいた眼差しがきょとんと丸みを帯びた。同時に緩められた拘束を離れ、ちょうど彼の座っていた椅子、そのすぐ傍らに置かれたままの彼の手札を見下ろす。ストレートフラッシュ――どのカードを注意深く観察し、直に表面を触れてみたところで、案の定目印になりそうな傷は一つたりとも見当たらない。
 勿論、最初から疑わなかったと言えば嘘になる。実際、ぽんぽん派の構成員がカードを切る「ふり」をしている姿をこの目で目撃している。ボスに勝利をもたらすべく用意された山札――それを崩したのは、他でもないボス本人だった。彼は山札に手を伸ばすと、おもむろにそれを何度も何度も、念入りにシャッフルし始めたのだ。構成員達の反応を見るに、誰しも想定していなかった出来事なのだろう。
 周囲の思惑から外れ、勝敗の決まりきった出来高レースではなく、張り詰めた緊張感の中でどちらが勝つとも分からぬ、互いの心理と心理、運と運がぶつかり合う戦場。
 ――その中で、今回は自分に少しばかり運が足りなかっただけだ。
「随分はっきりと言い切りますね」
「違うや?」
「それは……う~ん、ご想像にお任せします」
 曖昧な応えを返した青年の笑みが、心なしか晴れやかなあどけなさを孕んでいるように思えたのは、果たして自分だけだろうか。一歩、一歩とまた近付く足音。伸ばされた指先が、幾許かの優しさをもって頬を撫ぜる。
「渡した情報の使い道についてはお任せします。……それと、どうしても行き詰まったり、困ったりした時はいつでもここに来てください。お代は……そうだな~……またポーカーにでも付き合ってくれれば、それで良いので」
 さらりと音を立て、揺らめいた黒絹が頬に触れる。高価な宝石とも見紛うような双眸に見入られたまま――あたたかい何かが口唇に触れ、すぐに離れていった。
「ふふっ、次にまた会える日を楽しみにしてますよ――『イサン』さん」
 何の気なしに紡がれた自身の名。
 ――はて、自分は彼の前でこの名を一度でも口にしたことがあったろうか。

   * * *

「……あのさぁ」
 あのイサンとかいうセブン協会のフィクサーがここを去った後、無断でいかさまを働いた者達の「後始末」を終えてソファで寛いでいた彼が、どこか遠くを見つめるような眼差しで柔らかな湯気を立てる水面――ボスは酒よりも茶を好んで飲用する傾向があった――を眺めながら、不意打ちのように口を開く。
「運命って信じる?」
「は……う、運命ですか?」
 やたらシリアスな口ぶりだと思えば、ボスの口からそのようなメルヘンな単語が出てくるとは想像もしなかった。思わず噴出しそうになるのをぐっと堪える。ここで笑ってしまえばどうなるか、火を見るよりも明らかだったからだ。
 ボスによると、最近似たような夢を見るのだという。見たことのない場所で、時には見知った場所で、自身を管理人だとのたまう時計頭に指示されながら、自分と同じように指示を受ける者達と共に見たことのない化け物と戦う夢――その中で、あのフィクサーと同じ顔、同じ声、そして同じ名を持つ青年と相まみえたことがあるらしい。
「扱っていたのはナイフだったし、こっちの彼より幼く見えたけど」そう、付け加えながら。「なんだか面白くてさ、つい話してみたくなったんだよね~」
 戦闘の合間にどのような会話があったとか、その際に浮かべた表情がどうだったとか、夢の中で起きた出来事を楽しげに語るボスは、どこか楽しげで。
「……それ、まるで恋でもしているみたいじゃないですか」
 思わず、口を衝いて出た言葉を呑み込もうとしたが、もう遅い。
「恋、かぁ……そうだな~」
 鳩が豆鉄砲でも食らったかのような顔でこちらを凝視していたボスの口元が、しかし先程の失言など気にする素振りも見せず、ゆるり弧を描く。緩慢な動作でシャンデリアから大窓に見える裏路地の夜景へと細めた視線を移したその人は茶杯を呷ると、薄ら濡れた自身の唇をそ、といとおしげになぞって。
「……また会いたいなぁ」
 ぽつり、甘やかな呟きを空に溶かした。
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