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in the MIRROR
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性癖の煮凝り。

No.17

束縛/ホンイサ
ぽんぽん派とセブン協会

 おもむろにベッドから身を起こしたイサンが、無造作に床へと放り出された下着を拾い上げる。一夜の耽溺に身を委ねた後の彼は、酷くそっけない。閨を共にした相手を起こそうともせず――まあ、すでに自分が起きていることくらいはお見通しなのだろうけれど――目覚めのキスすら交わしてくれることなく、手早く身支度を整えるとまるで気ままな風のように、颯とこの場を立ち去ろうとしてしまうのだから。
「……イサンさんって」彼の細腰にしっかと腕を回し、無防備な肩へと顎を載せる。ほんの少しだけ、丸みを帯びた瞳孔が此方を見た。
「体にたくさんベルトを着けてますよね~」
 見下ろせば、眼前に覗く足――無防備に晒された白い下腿とは対照的な黒の靴下を固定するように巻かれたベルトへ指を滑り込ませる。これだけではない。ベルトを引き抜き、スラックスを剥ぎ取った瞬間、太腿に食い込むベルト――イサン曰く「シャツガーター」というらしい。彼らしいといえば彼らしいが、遅々とした動作で金具にベルトにと外されていくものだから、だいぶ据え膳を食らわされてたことだけは覚えている――が視界に飛び込んできた時は、危うく思考を放棄しかけた。
「イサンさん、あまりこういうのを着けてるイメージがないというか~」
 さして長くもない交流でこそあったとして、少なくともイサンという男は「見目を気にする」ような人柄とは対極にあるように思える。決してだらしがないというわけではないけれど、暴漢の鎮圧中にジャケットが返り血まみれになったところで、さほど気に留めることなく自分と面会するような彼が、はたしてたかがシャツの乱れ程度で頓着するだろうか。
「もしかして~……僕に会うからって張り切っちゃいました?」
「……寝言は寝て言いたまえ」
「あっ、酷い。人が折角勇気を出して聞いたのに~」
 さめざめと目元を手で覆ったところで、慰めるような素振りも一切見せない――さすがに泣き真似くらいではすぐに看破されるか。
「装いしこそ動きやすければ」
 なるほど。見目重視ではなく、飽くまで活動的機能性に重きを置いているならば、まだ納得出来るか。
 そんな色気の「い」の字もないような男が、昨夜は自身と同じ男に組み敷かれ、普段の落ち着いた低音からは想像出来ぬほどの蕩めく高音を漏らしては、蹂躙されるがままにその扇情的な色香を際限なく咲かせていたのだから、人とは底知れないものだと改めて実感する。
「……さて、いつまでかくしたらむとすや?」
「ん~?」
 自分よりも肉付きの悪い華奢な身を抱き竦めたまま、小首を傾げながら彼の言葉を吟味する――ああ、そろそろ離せと言いたいのか。
「う~ん……離してあげてもいいんですけど~……」
 ふいと、床に放り出されたままの紐状のそれを一瞥して。
「……あれ、僕に着けさせてくれません?」

「イサンさんって、外勤をしてる割には細いですよね~。あまり筋肉がつかない方だったりします?」
 なめらかな流線を描く太腿を撫ぜながら、口を衝いて出た言葉にイサンは僅かに目を細めた。
「この都市におきて、見目ほど信用に値せぬものやなからぬ?」
「まあ、仰る通りで~……あ、締め付けはきつくないですか?」
 外骨格、生体施術、刺青、義体――等々。金さえあれば、この都市では身体強化を行う手段などごまんとある。もしかすると、目の前にいる彼も刺青の類でもどこかに入れているのだろうか。ふつふつと込み上げてくる好奇心を抑えるように、長さを調整したベルトを太腿に巻き付けた。
「今少しばかりゆとりを……うむ、さばかりに」
 次は、ベルトから伸びる紐、その先端にある金具でシャツに一つ一つ挟んでいく。存外に緩めになったので問題ないのか疑問を抱いたものの、彼曰くこのくらいが動きやすいらしい――シャツの合間からちらちらと見切れる赤い鬱血痕。白皙に映える一等鮮やかなそれに、昨日の情事の余韻に思いを馳せつつ、左右それぞれ三つずつ、頭上から降り注ぐ言葉を頼りにようやく留め終えたそれがスラックスの下に消えていく様を最後まで見届けた。
「ほらほら、腕を出してくださ~い」
 後は、アームバンドで袖丈を調整し、鼻歌交じりで皺を伸ばしておいたジャケットを羽織らせたところでようやく身支度が完了する。ネクタイと襟元を直していた指先で、まるで愛玩動物にするかのように擽ってやった白い喉元が、ふるりと震えた。
「ん、……?」
「ねえ、イサンさん。ベルトをたくさん身に着けている人って、束縛願望があるんだそうですよ?」
 線を描くようにして首をなぞる――そう。それはまるで、彼に似合う枷でも思い描くかのように。
「……今度は、首輪でも用意しましょうか。イサンさん、黒がよく似合うと思うんですけど――」
 イサンさんは、どんな首輪がいいと思います?
 そうして、丁寧に結び直した布の上へと唇を落とした。

 彼と再び相まみえることになる――確信めいた予感こそあったけれど、以前の賭けからしばらくして、彼が再び自分のもとに現れた時は心が舞い上がるほどの喜びに打ち震えたことを今でも覚えている。
 彼とは様々な遊戯に興じた。ポーカー、チェス、将棋――そのどれにおいても彼は聡明で、これまでに挑んだ誰よりも強い。慢心する猶予すら与えてもらえなくて、危うく何度も負けそうになったけれど、持ち前の運と度胸でジャックポットを掴んでいった。
 勝利の報酬として、唇を要求したことがある。震えながらも味わったそれはあたたかく、僅かに珈琲の味がした。
 時には手を繋いで共に買い出しに出掛けたこともあった。贈った茶を喜んでもらえたならばいいのだけれど。
 そして昨日は――彼のぬくもりを求めた。
 彼は、拒絶はしなかった。
 以前、確かに自分は言った。どうしても捜査に行き詰まったり、困ったりした時はいつでもここに来てくれと。与えた情報の報酬はまた「遊びにでも付き合ってくれればそれで良い」――と。
 そう、自分との遊びに付き合いさえすれば、条件は達成される。
 それ以外に提示された条件など、単なるきまぐれだ。生真面目に応じる必要はどこにもない――というのに、そうであるにもかかわらず、イサンは決してそれ等の条件を無視することはしなかった。
 イサンという男は泰然自若として、何者にも縛られない。
 けれど、彼は気付いているだろうか?
 あたかも、目には見えない枷に繋がれでもしているかのように。
 無自覚のうち、自分の下した命令に縛られていることに。
 ――けれど、きっと。誰よりも固執しているのは。
 こうでもしなければ、彼を縛ることは出来ないと思っているのは。
 
 イサンがいなくなった自室。柔らかくて広々としたベッドの上で、小さく膝を抱き寄せながら微かに残された熱の残渣に触れる。彼に繋がれた透明な鎖へと口付けするかのように、ホンルは熱を帯びた指先へと、切に唇を落とした。
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