Trick or Treat?/イサファウ 囚人と囚人 続きを読む 「トリックオアトリート」 不寝の晩、夜気のように凛と澄み渡った響きをもって、最もこういった行事に興味を示すことはないと思っていた人物から発せられた魔法の呪文に、イサンは読みかけていた本を危うく手から転げ落としそうになりながら、隣で己を見つめる双眸を凝視してしまった。 「……ファウスト嬢?」 「先程、あなたが囚人に菓子を与えている姿を偶然目撃しましたので」 先程――頁を手繰っていた指先を顎に当て、彼女の言葉を租借する。全ての発端は鏡ダンジョン攻略の合間、殺し合いの最中でありながら、比較的自由に動ける時間、憩いの場におけるロジオンの行動だった。 「ねえおちびちゃん達、今日は何の日か覚えてる?」 「今日、ですか? ええっと……確か、今日は一〇月三一日ですね」 「一〇月三一日というとハロウィンでありまするな! 人々が思い思いに仮装し、『トリックオアトリート』と唱えるだけで菓子がもらえるという! あの!」 「ふふっ、ご名答~」 華やぐような、どこか悪戯めいた満面の笑みを湛えたロジオンがポケットより取り出したのは、色とりどりの包装に包まれた飴玉だ。それ等を二つずつ、手を差し出すようなジェスチャーを取る彼女に倣った二人の手のひらへと乗せていく。 「へ、ろ、ロージャさん?」 「ヴェル達には内緒だからね?」 目を輝かせながら手の上に落ちてきた星めいたそれを眺めるドンキホーテの傍ら、目を瞬かせながら顔を上げたシンクレアに――本人はウィンクをしているつもりなのであろう――両目をぎゅっと瞑りながら、艶やかに粧した己の口元に指を添えた。 「へぇ、ハロウィンっていうんですか。下々ではそういう催しがあるんですね~」 そのような一部始終を観察していたホンルにとって、ハロウィンという行事は多少なりとも新鮮に映ったのだろうか。じゃあ僕も、等とまるで先達の行動を真似るようにして差し出された月餅は明らかに一般人では簡単に手が届かぬほど高級品で、慄く二人と私も欲しいと黄色い声を上げる大きな後ろ姿を遠巻きから眺めながら、ふと、自身の纏う外套のポケットへと手を伸ばす。 謙遜ではなく、本当に大したものではかった。糖分補給用にと用意していた一口サイズのチョコだというのに、渡した途端にぱっと綻ぶあどけない面持ちに、ささやかで尊い日常の一幕に、木漏れ日の中にいるかのようなぬくもりがゆるゆると胸に染み入っていく――そう、ちょうど鏡ダンジョン攻略のメンバーとして、彼女はあの場に居合わせていた。 常と変わらぬ、感情を悟らせぬポーカーフェイスで、まさか彼女が自分に菓子を所望してくるとは夢にも思うまい。 「……イサンさん?」 小首を傾げながら、ファウストはこちらを見つめている。さて、どうしたものか。年少者の二人だけではなく、ホンルとロジオンにもチョコを渡してしまった。ポケットを探る指は何も掴めず、ただただ布地に触れるばかりだ。 「ファウストは知っています。菓子をもらえないのなら悪戯して構わないと」 沈黙と視線ばかりが突き刺さる。 「もらえないのでしたら……いたずら以外の選択はありませんが」 「……待ちたまえ。しばし、待ちたまえ」 「ファウストはもう十分待ちました」 どうやら、これ以上猶予を与えるつもりはないらしい。手のひらに汗が滲む。もう片方のポケットへと手を伸ばす――指先に触れる、固いもの。縋るようにして細長い箇所を摘まみ、引き上げたそれはいつぞや手に入れた――少なくとも自ら購入したものではない。囚人の誰かから譲り受けた品だろう――棒付きのキャンディだった。おそらく葡萄味なのだろうその艶やかな飴先を彼女に向けながら、様子を窺う。 「…………」 「…………」 再び訪れる沈黙。 もしや気に入らなかったのだろうか。 「……致し方ありませんね」血の気が引くような心地など露知らず、差し出されたそれを受け取ろうとする彼女は心なしか不服そうに、白皙の頬を膨らませながら。 「頂きましょう」 そう、小さく溜息を吐いたのだった。 「……彼女は、よりよき品を欲したりけむや?」 「う~ん……ファウも大概だけど、イサンさんはもう少し乙女心を学んだ方がいいかもねぇ?」 畳む #LCB0102 2024.7.10(Wed) 23:38:08 LimbusCompany,文 edit
囚人と囚人
「トリックオアトリート」
不寝の晩、夜気のように凛と澄み渡った響きをもって、最もこういった行事に興味を示すことはないと思っていた人物から発せられた魔法の呪文に、イサンは読みかけていた本を危うく手から転げ落としそうになりながら、隣で己を見つめる双眸を凝視してしまった。
「……ファウスト嬢?」
「先程、あなたが囚人に菓子を与えている姿を偶然目撃しましたので」
先程――頁を手繰っていた指先を顎に当て、彼女の言葉を租借する。全ての発端は鏡ダンジョン攻略の合間、殺し合いの最中でありながら、比較的自由に動ける時間、憩いの場におけるロジオンの行動だった。
「ねえおちびちゃん達、今日は何の日か覚えてる?」
「今日、ですか? ええっと……確か、今日は一〇月三一日ですね」
「一〇月三一日というとハロウィンでありまするな! 人々が思い思いに仮装し、『トリックオアトリート』と唱えるだけで菓子がもらえるという! あの!」
「ふふっ、ご名答~」
華やぐような、どこか悪戯めいた満面の笑みを湛えたロジオンがポケットより取り出したのは、色とりどりの包装に包まれた飴玉だ。それ等を二つずつ、手を差し出すようなジェスチャーを取る彼女に倣った二人の手のひらへと乗せていく。
「へ、ろ、ロージャさん?」
「ヴェル達には内緒だからね?」
目を輝かせながら手の上に落ちてきた星めいたそれを眺めるドンキホーテの傍ら、目を瞬かせながら顔を上げたシンクレアに――本人はウィンクをしているつもりなのであろう――両目をぎゅっと瞑りながら、艶やかに粧した己の口元に指を添えた。
「へぇ、ハロウィンっていうんですか。下々ではそういう催しがあるんですね~」
そのような一部始終を観察していたホンルにとって、ハロウィンという行事は多少なりとも新鮮に映ったのだろうか。じゃあ僕も、等とまるで先達の行動を真似るようにして差し出された月餅は明らかに一般人では簡単に手が届かぬほど高級品で、慄く二人と私も欲しいと黄色い声を上げる大きな後ろ姿を遠巻きから眺めながら、ふと、自身の纏う外套のポケットへと手を伸ばす。
謙遜ではなく、本当に大したものではかった。糖分補給用にと用意していた一口サイズのチョコだというのに、渡した途端にぱっと綻ぶあどけない面持ちに、ささやかで尊い日常の一幕に、木漏れ日の中にいるかのようなぬくもりがゆるゆると胸に染み入っていく――そう、ちょうど鏡ダンジョン攻略のメンバーとして、彼女はあの場に居合わせていた。
常と変わらぬ、感情を悟らせぬポーカーフェイスで、まさか彼女が自分に菓子を所望してくるとは夢にも思うまい。
「……イサンさん?」
小首を傾げながら、ファウストはこちらを見つめている。さて、どうしたものか。年少者の二人だけではなく、ホンルとロジオンにもチョコを渡してしまった。ポケットを探る指は何も掴めず、ただただ布地に触れるばかりだ。
「ファウストは知っています。菓子をもらえないのなら悪戯して構わないと」
沈黙と視線ばかりが突き刺さる。
「もらえないのでしたら……いたずら以外の選択はありませんが」
「……待ちたまえ。しばし、待ちたまえ」
「ファウストはもう十分待ちました」
どうやら、これ以上猶予を与えるつもりはないらしい。手のひらに汗が滲む。もう片方のポケットへと手を伸ばす――指先に触れる、固いもの。縋るようにして細長い箇所を摘まみ、引き上げたそれはいつぞや手に入れた――少なくとも自ら購入したものではない。囚人の誰かから譲り受けた品だろう――棒付きのキャンディだった。おそらく葡萄味なのだろうその艶やかな飴先を彼女に向けながら、様子を窺う。
「…………」
「…………」
再び訪れる沈黙。
もしや気に入らなかったのだろうか。
「……致し方ありませんね」血の気が引くような心地など露知らず、差し出されたそれを受け取ろうとする彼女は心なしか不服そうに、白皙の頬を膨らませながら。
「頂きましょう」
そう、小さく溜息を吐いたのだった。
「……彼女は、よりよき品を欲したりけむや?」
「う~ん……ファウも大概だけど、イサンさんはもう少し乙女心を学んだ方がいいかもねぇ?」
畳む
#LCB0102