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in the MIRROR
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性癖の煮凝り。

No.25

残香/ホンイサ
K社と壇香梅

 これは、一体どのような状況なのだろうか。
「隣、良いですか?」
 そう言って、今まさに――己の返答すら待つ素振りも見せず――隣の座席に腰掛けようとしている男が纏っているボディースーツを、忘れるはずがない。多くの同胞を殺め、数多の血を吸い上げてなお、忌々しいエメラルド色の輝きを損なうことのないそれは、K社に属する三級摘出職職員の装いだった。
 男は人懐こい快活な――「摘出」などと称する殺し合いの時と何ら変わらぬ笑みを湛えたまま、異なる彩りを持つ双眸が覗き込んできたかと思いきや。
「あははっ、そんなに睨まないでくださいよ~」まるで鈴でも転がすような声で呑気に笑い、続ける。「今は共闘関係にあるわけですし、わざわざ敵対する必要なんてないじゃないですか」
「戯言を……」
「まあまあそう言わずに~」
 笑顔を崩さぬ男の言い分とて、決して間違えているわけではない。今の我々はリンバスカンパニー――その一部署で、管理人を務めるダンテの指示を受けて動く身に過ぎない。仮に周囲の制止を振り切ってでも目の前にいる男と「死闘」を繰り広げ、いずれかの時間が止まったところで、管理人が時針を巻き戻してしまえば、まるで何事もなかったかのように息を吹き返して再び正常に時を刻み始めるのだろう。
 これまでの犠牲に一矢を報いることさえ出来ない、何の意味もない、不毛な行為。
 それゆえの、不干渉。
「それに僕、前々からあなたとは話してみたいと思ってたんです」
 その花枝、身体から直接生えてるんですか?
 花で隠れている目はちゃんと見えてるんですか?
 花が萎れたり枯れたりすることはあるんですか?
 普段はどんな食事をしてるんですか?
 ――等々。ああ、いつになったらそのお喋りな舌が乾ききって、(おし)のように黙ってくれるのか。やはり舌の一つくらい切り落としておくべきだったか。若干の後悔に苛まれながらも、矢継ぎ早に投げかけられる彼の問いに対しては溜息で応えを返しながら、視線を向けた盆上に用意されていたのは、なだらかなフォルムを描く白磁の茶壷と茶杯が二つ。他の囚人の影響か、どうやらこの世界線の「イサン」は、最近好んで茶を口にしているらしい――状況からの憶測になるが、何者かをもてなそうと茶を淹れてから間もなくして招集がかかったようだ。
 時が過ぎ、すっかり冷めきってしまった茶杯の片割れを持ち上げる。眼前で揺らぐ淡黄色の水面。鼻を近付けてみると、甘やかな花の香りがした。
「それ、もしかして菊花茶です?」
「……そなた、分かるや?」
「あなたの纏う香りの方が強いので、少し自信がなかったんですけどね~。多分そうだと思います……あ、やっぱりそうだ」
 同じようにして茶杯を手に取り、香りを楽しみながら――正答に安堵したのか、見目麗しく咲き誇る百花もかくやとばかりの鮮やかな微笑を深める男は、頼んでもいないのに淀みない口調でさらに言葉を紡ぎあげていく。
「懐かしいなぁ。これでも僕、昔はゆったりとお茶をして過ごしてたんですよ~。色んな茶葉を集めて、嗜んできたので、お茶には多少自信があるんです」
「……斯様なやんごとなき趣味を持ちしそなたが、何故K社の摘出職なぞにつきけりや?」
「ふふ、やっと僕に興味を持ってくれました?」
 口を衝いて出た疑問に、翡翠めいた瞳が一層の煌きをもって瞬いた。失言だったと舌を打ったところでもう遅い。
 しかし、塵ほども興味がないかと問われたならば、それはそれで嘘になる。
 口ぶりからも、彼が明らかな嘘を吐いているようには見えない。何より、ほんの僅かな交流でも分かる美しい所作、整った身なりからも鑑みるに、元は相当裕福な家の出だったのだろうと想像に難くなかった。
 安穏としたひとときを好んでいたであろうこの男が、どのような経緯を経てK社に入社し、自らの身を血で染め上げるに至ったのか。
 ――けれど、同時に知ってはならないと頭のどこかで警鐘が鳴り響いている。
 視線を、話題を一方的に打ち切るべく、些か大仰な所作で扇子を開いた途端に鼻孔へと広がるえ辛い花の香。僅かに覚えた頭痛を誤魔化すようにして、杯に注がれた茶を一息に呷った。
「……話は終わりき。その茶を飲まば疾く私の前より失せたまえ」
 幸い「イサン」が淹れた茶だ。毒の類いが入っているはずもない。それでも、いくら待てども彼は水面を見下ろすばかりで、一向に口をつけようとはしなかった。
「う~ん……お茶のお誘いは嬉しいんですけど~……」しばらくして、心なしか名残惜しげに手の中にあった杯を卓上に戻しながら、男は笑う。「人らしい食事を摂らなくなってから久しくて。もしかすると吐いちゃうかも知れないので、遠慮しておきます」
 こともなげに吐露された言葉の意味を、噛み砕くまでにはしばしの時間を要した。
 そうして、茶杯を見つめていたはずの眼差しがこちらを捉えたかと思えば、彼は何も言わずに、やがて困ったように目を細める。
 待ち望んだものとは程遠い、痛いほどの静寂。
 唖のように黙り込んでしまったのは、他でもない自分自身だった。

 ――果たして、自分は一体、どのような顔をしていたのだろうか。
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#LCB61 #技術解放連合 #K社

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