つたない二人のつくりかた/ホンイサ 囚人と囚人 続きを読む 二人きりの逢瀬、向かい合う薄い唇に触れると、ふるりと震える艶やかな睫毛。次いで、あえかな熱が灯りゆく白皙の頬が眼前に映り込む。イサンと「相思相愛」の関係になってから幾許かの時が経つが、肝心の彼はというと、未だに口吸いという行為に慣れる気配はない――とはいえ、細りとした身を硬直させるばかりだった以前までとは違い、おずおずながらも彼からすすんで唇を寄せてくれるようになった。背に回した腕へと力を籠め、耳まで鮮やかな朱に染めながら離さぬとばかりに己を掻き抱いた彼のいじらしさに、愛おしさばかりが膨れ上がっていったあの瞬間を今でも覚えている。 イサンから求められている――愛されている。もはや疑いようのない確信に至ったからこそ、踏み越えるべきでないラインを見誤ったのかも知れない。僅かに開かれた口唇の隙間から舌を滑り込ませようとして――大袈裟に跳ねた肩。自身のものとは異なるぬくもりに対して、相当気が動転したのだろう。 舌先に触れた硬質な物質が、ぷつりと音を立てて薄い皮膚を食い破る。灼熱めいた痛みを訴える傷口から止め処なく広がる鉄の味に、真っ先に反応したのはイサンだった。 「す、すまない……私は、そなたに怪我を……」 先ほどまで果実のように熟れた色を晒していたはずの顔がたちまち痛々しいほど青褪めていく。先ほどまで甘く蕩けていたはずの双眸が動揺によって酷く揺らいでいた。 「うん? ……あ~」 無論、決して痛みがないわけではない。しかし、過去の鍛錬や日頃の血腥い業務を思えば、この程度の傷であれば問題なく無視出来る。だからこそ、軽い調子で「大丈夫ですよ~」といつも通りの笑顔を浮かべさえするだけで、強張ってしまったその顔を綻ばせてくれるはずだった。 そうであるはずなのに、そうしなかったのは――己の中でどうしようもない悪戯心が芽生えてしまったから。 「そう言われると、確かにちょおっとばかり痛いかも~」 声に出すや否や、一層血の気の引いた白皙に一種の罪悪感を覚えながらも、それを表に出さぬよう目を細め、見せつけるようにして笑みを模る唇を開きながら。 「……ここ、イサンさんが舐めてくれたら、痛みが治るかも知れません」 腫れて赤みを増した舌先を覗かせるようにして、彼に見せつけた。 訪れた沈黙。瞬きを忘れた黒曜石が、まるで人形のように固まったまま、自分を見つめている。彼お得意の思考の海に沈んでいるのか、はたまた思考が停止してしまっているのか。突飛に齎された提案を前にして、彼は最初にどのような表情を見せるだろう。顔を真っ赤にして慌てふためくだろうか。それとも機嫌を損ねてしまうだろうか――覆水盆にかえらずとは言うが、彼に嫌われてしまうのだけは嫌かも知れない。 今ならば、未だ引き返せる。冗談であると告げようとした言葉が、しかし音になることはなかった。 眼前に映り込んだのは、ふるりと震える艶やかな睫毛。次いで、あえかな熱が灯りゆく白皙の頬。 「……ん、」 ――そして、薄く開かれた唇から現れた、彼の舌。躊躇いがちに差し出された粘膜が、己の舌先へと刻まれた傷をなぞり、健気にも、懸命に唾液を擦り合わせる様を瞬きも忘れて見入る。 初めて目の当たりにするイサンの舌は想像していた以上に赤かったとか、熱かったとか。 鼓膜に触れる、鼻を抜けるような吐息が酷く扇情的だったとか。 かわいいとか、好きだとか。 とりとめのない感想が、頭に浮かんでは弾け飛んでいく。自分は夢でも見ているのだろうか――けれど、まざまざと感じ取れる生々しいぬくもりこそが、これが夢でないことの証左となった。 誰よりも聡い彼が、何故このような奇行に走ったのか。もはや何かを考えるだけの余裕など、自分にはなかった。 ――そしてそれは、きっと彼も同じこと。 畳む #LCB61 2024.7.10(Wed) 23:53:22 LimbusCompany,文 edit
囚人と囚人
二人きりの逢瀬、向かい合う薄い唇に触れると、ふるりと震える艶やかな睫毛。次いで、あえかな熱が灯りゆく白皙の頬が眼前に映り込む。イサンと「相思相愛」の関係になってから幾許かの時が経つが、肝心の彼はというと、未だに口吸いという行為に慣れる気配はない――とはいえ、細りとした身を硬直させるばかりだった以前までとは違い、おずおずながらも彼からすすんで唇を寄せてくれるようになった。背に回した腕へと力を籠め、耳まで鮮やかな朱に染めながら離さぬとばかりに己を掻き抱いた彼のいじらしさに、愛おしさばかりが膨れ上がっていったあの瞬間を今でも覚えている。
イサンから求められている――愛されている。もはや疑いようのない確信に至ったからこそ、踏み越えるべきでないラインを見誤ったのかも知れない。僅かに開かれた口唇の隙間から舌を滑り込ませようとして――大袈裟に跳ねた肩。自身のものとは異なるぬくもりに対して、相当気が動転したのだろう。
舌先に触れた硬質な物質が、ぷつりと音を立てて薄い皮膚を食い破る。灼熱めいた痛みを訴える傷口から止め処なく広がる鉄の味に、真っ先に反応したのはイサンだった。
「す、すまない……私は、そなたに怪我を……」
先ほどまで果実のように熟れた色を晒していたはずの顔がたちまち痛々しいほど青褪めていく。先ほどまで甘く蕩けていたはずの双眸が動揺によって酷く揺らいでいた。
「うん? ……あ~」
無論、決して痛みがないわけではない。しかし、過去の鍛錬や日頃の血腥い業務を思えば、この程度の傷であれば問題なく無視出来る。だからこそ、軽い調子で「大丈夫ですよ~」といつも通りの笑顔を浮かべさえするだけで、強張ってしまったその顔を綻ばせてくれるはずだった。
そうであるはずなのに、そうしなかったのは――己の中でどうしようもない悪戯心が芽生えてしまったから。
「そう言われると、確かにちょおっとばかり痛いかも~」
声に出すや否や、一層血の気の引いた白皙に一種の罪悪感を覚えながらも、それを表に出さぬよう目を細め、見せつけるようにして笑みを模る唇を開きながら。
「……ここ、イサンさんが舐めてくれたら、痛みが治るかも知れません」
腫れて赤みを増した舌先を覗かせるようにして、彼に見せつけた。
訪れた沈黙。瞬きを忘れた黒曜石が、まるで人形のように固まったまま、自分を見つめている。彼お得意の思考の海に沈んでいるのか、はたまた思考が停止してしまっているのか。突飛に齎された提案を前にして、彼は最初にどのような表情を見せるだろう。顔を真っ赤にして慌てふためくだろうか。それとも機嫌を損ねてしまうだろうか――覆水盆にかえらずとは言うが、彼に嫌われてしまうのだけは嫌かも知れない。
今ならば、未だ引き返せる。冗談であると告げようとした言葉が、しかし音になることはなかった。
眼前に映り込んだのは、ふるりと震える艶やかな睫毛。次いで、あえかな熱が灯りゆく白皙の頬。
「……ん、」
――そして、薄く開かれた唇から現れた、彼の舌。躊躇いがちに差し出された粘膜が、己の舌先へと刻まれた傷をなぞり、健気にも、懸命に唾液を擦り合わせる様を瞬きも忘れて見入る。
初めて目の当たりにするイサンの舌は想像していた以上に赤かったとか、熱かったとか。
鼓膜に触れる、鼻を抜けるような吐息が酷く扇情的だったとか。
かわいいとか、好きだとか。
とりとめのない感想が、頭に浮かんでは弾け飛んでいく。自分は夢でも見ているのだろうか――けれど、まざまざと感じ取れる生々しいぬくもりこそが、これが夢でないことの証左となった。
誰よりも聡い彼が、何故このような奇行に走ったのか。もはや何かを考えるだけの余裕など、自分にはなかった。
――そしてそれは、きっと彼も同じこと。
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#LCB61