あなたの理由になりたかった/ホンイサ K社と壇香梅 続きを読む 開け放たれた障子から射し込む陽光へとこの身を晒す。耳に蝟集(いしゅう)するのは、姦しいばかりの都市の喧騒であればすぐに掻き消されてしまいそうな木々のささめき、小鳥の囀り、そして志を同じくする同朋達の語らい。 緩やかに流れゆく時間に身を委ね、羽を伸ばすのは果たしていつぶりだろうか。大義の下、これまでに多くの屍を積み重ねてきた。これまでに流した、そして流された血で彩られた異常と呼ぶべき――けれど、もはや麗しさすら見出していたその道をひた進む我々には分不相応なほど、酷く穏やかで静謐なひととき。 幽けき音に耳を傾けながら、陽射しの眩さに思わず細めた目をゆるりと伏せる。たまには、こうして午睡に耽るのも悪くないのかも知れない。 「イサンさん、質問したいことがあるんですけど~」 ――すぐ傍らで呑気な音が落とされたかと思えば、次いで胡座を組んだ膝へとのしかかる重みに閉ざしかけていた瞼を堪らず開いた。眼前には、瞬く星夜を梳かしたような豊かな黒髪。そして、炳(へい)として此方を見つめる翡翠と黒曜石。仮に乗せるとして、それが愛くるしい小動物であればどれほど良かったことか。 「重し。離れたまえ、疾く」 「え~?」 まるでそれが当然の権利であるかのように、さも自然に膝を枕にして寛いでいる男を扇で押し返そうとするも、微動だにしないどころか当の本人は形の良い唇を尖らせるばかりで一向に動こうとする気配はない。鍛え上げられた恵体を強固なボディースーツで鎧った男が、あたかも愛猫の如き振る舞いでじゃれついてくる様は――とはいえ、実のところ髪の触り心地は絹糸めいて存外に悪くない。悪くないが、決して彼の前で口にしてやるものか――悪夢以外の何物でもないだろうに。いや、まずそれよりもこの男が当たり前のように敵勢力の本拠地へと容易く足を踏み入れている時点で度し難い異常事態なのだが。 「僕の話し相手になってくれるだけで良いんです~。だって、こんなに心地好い日和でしょう? 何か話してないとこのままうっかり眠っちゃいそうで~」 「ふん、おのがままに眠るべからむ」 「それが出来たらどんなに良いか~……研究員さんの話だと、夢見ひとつで崩壊に繋がるらしいので、僕達摘出職職員に睡眠はご法度なんですよね」 「…………」 男の口調は同情を誘うような哀しげなそれでも、自身の身の上を呪うような恨めしげなそれでもない。ただいつものように人好きのする微笑を浮かべながら、あっけらかんと告げるその様子に、自ずと視線は下がっていった。 再び訪れた沈黙を同意であると判断したのだろう。床に転がる花弁を指先で弄びながら、眼前の男は笑みを深めるその唇を開いた。 「イサンさん達は、この世からあらゆる技術を消し去るために行動してるんですよね?」 「……さりとし、何なりや?」 いかなる技術の存在しなかった、全てが一層輝いて見えた過去に戻る――自身の理念とは多少の相違はあるといえど、概ね間違ってはいない。 「僕、少し気になったんです。『技術の解放』が大義だとして、そうだとしたらその解放すべき『技術』というものも、その自由を望んでいるのかな――って」 まるで技術が意思を持つかのような口ぶりで、あどけない好奇心に塗れた言の葉が、眼差しが、一心に己へと向けられる。 「あ、おかしなことを言う奴だと思ったでしょう? AIだって、もしかすると人間よりも人間らしい思考を持っているとも知れないじゃないですか。同じく人間によって見出された技術が、彼らなりの意思を持っていたって何ら不思議ないと思いますけど~」 よほど――それこそ狐にでもつままれたような顔をしていたのだろうか。くつくつと喉を鳴らした男は伸びをするように、膝の上で身を捩る。しゃらり、しゃらと、長い髪が音を立てて床へと零れ落ちた。 「――それで、イサンさんはどう思います?」 色の異なる双眸が覗き込むように見上げてくる。思いつきのように、突として齎された問いかけに対して自分が応えてやる義理などないし、そのことは彼も織り込み済みであることを疑う余地はない。 しかし、その心とは裏腹に、意識は思惟に沈んでいく。 まず過ぎるのは、さる翼の「鑑賞室」。人々へ癒しを与える星の子のためだけに上映される悲劇的視聴覚飼料。 次いで過ぎったのは、さる巣に構える屋敷。嵐の吹き荒ぶその地下で繰り広げられるおぞましい人体実験。 どちらも自分自身が目の当たりにしたわけではない。いつか鏡越しに見た、幾つもの可能性のいずれかで起きたやも知れぬ、もしもでしかない光景。――しかし、もしも唾棄すべきそれらに用いられた「技術」自身が、喜んでその身を差し出しているのだとしたら―― 花枝を手折るかの如き、乾いた音が響いた。 「あちゃぁ……」 嘆息にも似た声を漏らした男が、壊れ物でも扱うかのように恭しい手つきで取られた右手。逸る心臓から送り込まれる、滾るような血潮。どっと噴き出す汗が気持ち悪い。乱れかけた思考を律し、遅々とした動作で動かした視線の先で、ようやく親骨の折れた扇に気付いた。 「派手にやりましたね~。怪我、痛くありませんか?」 折れた拍子に、木片が指に食い込んだのだろう。破れた皮膚から珠のような血が滲んでいく様を、茫洋と眺めながら。 「……私は、そなたが憎し」 突拍子もなく口を衝いて出た言葉に――おそらく、傷を診ようとしたのだろう。自身に伸ばされた男の手が止まった。見開かれた瞳が酷く揺らいでいる――至極当然だと言い聞かせる。彼等摘出職職員によって、今までどれほどの同胞が手にかけられたことか。己を気遣うような真似をするこの男とて、戦場に投入されれば息をするように得物を振るい、唇に変わらぬ笑みを湛えたまま、つい先刻まで親しげに語りかけていたであろう者達をいとも容易く崩壊させていく。 「……はい。勿論、知ってます」 この男がどういった経緯でK社へと入職するに至ったのかは概ね把握している――とはいえ、彼が聞きもしないのに話したからだが――故にこそ、理解出来なかった。 仲間を守ることさえ出来ず、呪いの言葉を吐き散らすことしか出来ぬ取るに足らぬ存在など、嗤って一蹴すれば良いだろうのに。 何故、彼は彼自身に課せられた理不尽に対して怒りを顕わにしないのか。 何故――彼は、こんなにも哀しげに微笑むだけなのか。 「そして――そなたをさに変えにけるK社もまた、さなり」 先とは異なる色を宿して瞠目した二つの宝珠が、己を凝視していることなど気にも留めず、続ける。 「うち出でしばかりの技術は純粋で……かくて、無知なり」 まるで、その技術を使用する当人を映し出す鏡のように。 かの翼の特異点によって齎されるのが慈雨の如き癒しであったとして、その癒しを得るために――硝子管の中でしか生きられぬ兵士を作り出すために、そして汚らわしい私利私欲のために、この世に生まれ出でた尊き技術が凌辱されるというならば。 「私は、技術の全てを灰燼に帰さん」 技術の意思など関係なく。 それが技術の生まれる瞬間を見届けた時に感じた、打ち震えるような純粋な喜びを知る者としての、自分に出来る責務だ。 「これで満足せりや?」 「……あはっ。ちょっと身勝手が過ぎる回答じゃないですか~、それ?」鈴を転がすような、玲瓏な笑声を上げながら続ける男の目には、一片の揶揄も嘲笑も孕んでいない。「でも、ありがとうございます。イサンさんが僕の代わりに気を揉んでくれるだなんて、少し意外だったかも」 「自惚れも大概にしたまえ」 「え~っ。明らかにそういった意味を含んでましたよね、あの言葉!」 不意に起き上がったかと思えば、遠慮のない膂力でこの身を抱き竦めてくるのだから息苦しくて仕方がない。このまま己を抱き潰して息の根を止める心算なのだろうか、この男は。 「……でも、僕だってこの職に就いて嫌なことばかりじゃないんですよ? だって――」 僕が摘出職職員じゃなかったら、イサンさんに会えることなんて、一生なかったでしょうから。 睦言(むつごと)を紡ぐかのように、耳元で囁かれた密やかな声。寸秒の沈黙の後、その頭を折れた扇で叩(はた)いてやった手に、不自然に汗が滲んでいたのは暑苦しかったせいだと自分に言い聞かせた。 畳む #LCB61 #技術解放連合 #K社 2024.7.10(Wed) 23:58:24 LimbusCompany,文 edit
K社と壇香梅
開け放たれた障子から射し込む陽光へとこの身を晒す。耳に蝟集するのは、姦しいばかりの都市の喧騒であればすぐに掻き消されてしまいそうな木々のささめき、小鳥の囀り、そして志を同じくする同朋達の語らい。
緩やかに流れゆく時間に身を委ね、羽を伸ばすのは果たしていつぶりだろうか。大義の下、これまでに多くの屍を積み重ねてきた。これまでに流した、そして流された血で彩られた異常と呼ぶべき――けれど、もはや麗しさすら見出していたその道をひた進む我々には分不相応なほど、酷く穏やかで静謐なひととき。
幽けき音に耳を傾けながら、陽射しの眩さに思わず細めた目をゆるりと伏せる。たまには、こうして午睡に耽るのも悪くないのかも知れない。
「イサンさん、質問したいことがあるんですけど~」
――すぐ傍らで呑気な音が落とされたかと思えば、次いで胡座を組んだ膝へとのしかかる重みに閉ざしかけていた瞼を堪らず開いた。眼前には、瞬く星夜を梳かしたような豊かな黒髪。そして、炳として此方を見つめる翡翠と黒曜石。仮に乗せるとして、それが愛くるしい小動物であればどれほど良かったことか。
「重し。離れたまえ、疾く」
「え~?」
まるでそれが当然の権利であるかのように、さも自然に膝を枕にして寛いでいる男を扇で押し返そうとするも、微動だにしないどころか当の本人は形の良い唇を尖らせるばかりで一向に動こうとする気配はない。鍛え上げられた恵体を強固なボディースーツで鎧った男が、あたかも愛猫の如き振る舞いでじゃれついてくる様は――とはいえ、実のところ髪の触り心地は絹糸めいて存外に悪くない。悪くないが、決して彼の前で口にしてやるものか――悪夢以外の何物でもないだろうに。いや、まずそれよりもこの男が当たり前のように敵勢力の本拠地へと容易く足を踏み入れている時点で度し難い異常事態なのだが。
「僕の話し相手になってくれるだけで良いんです~。だって、こんなに心地好い日和でしょう? 何か話してないとこのままうっかり眠っちゃいそうで~」
「ふん、おのがままに眠るべからむ」
「それが出来たらどんなに良いか~……研究員さんの話だと、夢見ひとつで崩壊に繋がるらしいので、僕達摘出職職員に睡眠はご法度なんですよね」
「…………」
男の口調は同情を誘うような哀しげなそれでも、自身の身の上を呪うような恨めしげなそれでもない。ただいつものように人好きのする微笑を浮かべながら、あっけらかんと告げるその様子に、自ずと視線は下がっていった。
再び訪れた沈黙を同意であると判断したのだろう。床に転がる花弁を指先で弄びながら、眼前の男は笑みを深めるその唇を開いた。
「イサンさん達は、この世からあらゆる技術を消し去るために行動してるんですよね?」
「……さりとし、何なりや?」
いかなる技術の存在しなかった、全てが一層輝いて見えた過去に戻る――自身の理念とは多少の相違はあるといえど、概ね間違ってはいない。
「僕、少し気になったんです。『技術の解放』が大義だとして、そうだとしたらその解放すべき『技術』というものも、その自由を望んでいるのかな――って」
まるで技術が意思を持つかのような口ぶりで、あどけない好奇心に塗れた言の葉が、眼差しが、一心に己へと向けられる。
「あ、おかしなことを言う奴だと思ったでしょう? AIだって、もしかすると人間よりも人間らしい思考を持っているとも知れないじゃないですか。同じく人間によって見出された技術が、彼らなりの意思を持っていたって何ら不思議ないと思いますけど~」
よほど――それこそ狐にでもつままれたような顔をしていたのだろうか。くつくつと喉を鳴らした男は伸びをするように、膝の上で身を捩る。しゃらり、しゃらと、長い髪が音を立てて床へと零れ落ちた。
「――それで、イサンさんはどう思います?」
色の異なる双眸が覗き込むように見上げてくる。思いつきのように、突として齎された問いかけに対して自分が応えてやる義理などないし、そのことは彼も織り込み済みであることを疑う余地はない。
しかし、その心とは裏腹に、意識は思惟に沈んでいく。
まず過ぎるのは、さる翼の「鑑賞室」。人々へ癒しを与える星の子のためだけに上映される悲劇的視聴覚飼料。
次いで過ぎったのは、さる巣に構える屋敷。嵐の吹き荒ぶその地下で繰り広げられるおぞましい人体実験。
どちらも自分自身が目の当たりにしたわけではない。いつか鏡越しに見た、幾つもの可能性のいずれかで起きたやも知れぬ、もしもでしかない光景。――しかし、もしも唾棄すべきそれらに用いられた「技術」自身が、喜んでその身を差し出しているのだとしたら――
花枝を手折るかの如き、乾いた音が響いた。
「あちゃぁ……」
嘆息にも似た声を漏らした男が、壊れ物でも扱うかのように恭しい手つきで取られた右手。逸る心臓から送り込まれる、滾るような血潮。どっと噴き出す汗が気持ち悪い。乱れかけた思考を律し、遅々とした動作で動かした視線の先で、ようやく親骨の折れた扇に気付いた。
「派手にやりましたね~。怪我、痛くありませんか?」
折れた拍子に、木片が指に食い込んだのだろう。破れた皮膚から珠のような血が滲んでいく様を、茫洋と眺めながら。
「……私は、そなたが憎し」
突拍子もなく口を衝いて出た言葉に――おそらく、傷を診ようとしたのだろう。自身に伸ばされた男の手が止まった。見開かれた瞳が酷く揺らいでいる――至極当然だと言い聞かせる。彼等摘出職職員によって、今までどれほどの同胞が手にかけられたことか。己を気遣うような真似をするこの男とて、戦場に投入されれば息をするように得物を振るい、唇に変わらぬ笑みを湛えたまま、つい先刻まで親しげに語りかけていたであろう者達をいとも容易く崩壊させていく。
「……はい。勿論、知ってます」
この男がどういった経緯でK社へと入職するに至ったのかは概ね把握している――とはいえ、彼が聞きもしないのに話したからだが――故にこそ、理解出来なかった。
仲間を守ることさえ出来ず、呪いの言葉を吐き散らすことしか出来ぬ取るに足らぬ存在など、嗤って一蹴すれば良いだろうのに。
何故、彼は彼自身に課せられた理不尽に対して怒りを顕わにしないのか。
何故――彼は、こんなにも哀しげに微笑むだけなのか。
「そして――そなたをさに変えにけるK社もまた、さなり」
先とは異なる色を宿して瞠目した二つの宝珠が、己を凝視していることなど気にも留めず、続ける。
「うち出でしばかりの技術は純粋で……かくて、無知なり」
まるで、その技術を使用する当人を映し出す鏡のように。
かの翼の特異点によって齎されるのが慈雨の如き癒しであったとして、その癒しを得るために――硝子管の中でしか生きられぬ兵士を作り出すために、そして汚らわしい私利私欲のために、この世に生まれ出でた尊き技術が凌辱されるというならば。
「私は、技術の全てを灰燼に帰さん」
技術の意思など関係なく。
それが技術の生まれる瞬間を見届けた時に感じた、打ち震えるような純粋な喜びを知る者としての、自分に出来る責務だ。
「これで満足せりや?」
「……あはっ。ちょっと身勝手が過ぎる回答じゃないですか~、それ?」鈴を転がすような、玲瓏な笑声を上げながら続ける男の目には、一片の揶揄も嘲笑も孕んでいない。「でも、ありがとうございます。イサンさんが僕の代わりに気を揉んでくれるだなんて、少し意外だったかも」
「自惚れも大概にしたまえ」
「え~っ。明らかにそういった意味を含んでましたよね、あの言葉!」
不意に起き上がったかと思えば、遠慮のない膂力でこの身を抱き竦めてくるのだから息苦しくて仕方がない。このまま己を抱き潰して息の根を止める心算なのだろうか、この男は。
「……でも、僕だってこの職に就いて嫌なことばかりじゃないんですよ? だって――」
僕が摘出職職員じゃなかったら、イサンさんに会えることなんて、一生なかったでしょうから。
睦言を紡ぐかのように、耳元で囁かれた密やかな声。寸秒の沈黙の後、その頭を折れた扇で叩いてやった手に、不自然に汗が滲んでいたのは暑苦しかったせいだと自分に言い聞かせた。
畳む
#LCB61 #技術解放連合 #K社